PROFILE

恭子のプロフィール

Kyoko

こんにちは、服部恭子です。
福岡在住(出張先は国内外へ♪)息子(8歳)の子育てをしながら会社経営をしています。


事業内容は複数ありますが、事業ごとにチームが存在し、全国各地にいるフリーランスの方や個人事業主の方と提携させて頂き、プロジェクトに取り組んでいます。


最近では、こちらのサイトのタイトルにもある「Cozy Life 〜居心地の良さ〜」をテーマとしたブランドを現在企画・開発中です。

事業内容
WEB制作 / プレスリリース制作 / コンテンツ制作サポート / アニメーション動画制作 / インタビュー / インフルエンサーを起用したPR / 座談会開催 / 取材・ブログレポート …

大学在学中にリラクゼーションサロンを立ち上げ、サロンワークと同時にサロン集客等を教える講師業の仕事が増えました。現在サロンは閉じてしまいましたが、2011年からはじめたFaebookでは19,000名近くの方とつながり、人生の転機をいくつか迎えながら、現在も発信を続けています。

Facebookだけでなく、Ameblo、mixi、Twitter、Instagram、YouTube、Pinterestなど、さまざまなSNSが存在しますが、そのSNSによって人生を切り拓き、ここまで歩んで来ました。

私自身、幼い頃からよくいじめられていたので、自分自身に自信がなく、いろんなことに凹んだり、壁にぶつかって落ち込んでみたりとしてきましたが、大学時代から「心理学」に興味を持ち、心について学んだことで、さまざまな感情を味わい尽くし、心の課題に取り組み、自分なりに乗り越え今に至ります。


このサイトのテーマは「Cozy Life 〜居心地の良い人生〜」としています。
心地よさというのは、自分の心を知り、その心を大切にすることで広がっていくと考えています。

その上で「Everything Starts With Caring For Yourself 〜全ては自分をいたわることからはじまる〜」と書かせて頂きました。

こちらの記事では私自身のこれまでのおいたち、経験などを書いていきたいと思います!
そして、これからどんな世界を作っていきたいと考えているのか、少しでもお伝えできれば幸いです。

どうぞよろしくお願い致します。

幼い頃の記憶

髪の量が多いのは小さい頃から!

「一番小さい頃の記憶は?」と言われて、みなさんはどんな記憶がありますか?
私が思い出すのは3歳の時のおつかいの記憶です。

幼稚園に行く前くらいの頃、当時住んでいた家の隣にあったお豆腐屋さんにはじめてのおつかいに行った時のお話です。お母さんは生まれたばかりの弟のお世話をしていて、私におつかいを頼んだのだと思います。

いつも母と一緒に行っていたお豆腐屋さん。行くまではよかったんです、いつもの知ってるお店だから。ですが、お豆腐屋さんにおばちゃんに「お豆腐ください!」と伝えたら、「どっちの豆腐かしら?(絹、木綿という意味)」と聞かれて頭が真っ白になったのを覚えています(笑)

お豆腐屋のおばちゃんはすぐに気を遣ってくれて「お母さんはいつも『絹』を買ってるから、きっと絹豆腐ね!」とお豆腐を入れてくれてことなきを得たのですが…本当に質問の意味が分からなくて、そしてその質問にちゃんと答えられなくて、ショックだったことを覚えています。

言葉の記憶

もうひとつはもう少し大きくなった時の記憶で「言葉」に関することです。

幼稚園に通いはじめた頃、夜の19:00からはじまるNHKニュースを見ながら「またも、おしょくじけんが起こりました」というフレーズを聞いて、思わず顔をあげてテレビを見ていました。すると怖い顔のおじさんたちが画面いっぱいに出てくるわけです。

このおじさんたちは「お食事券」で何かケンカをしたのだろうか?と思っていました。いつもテレビから流れてくる「おしょくじけん」には怖い大人のおじさんたちがセットで出てきます。しかも毎日!

少し大きくなって漢字が読めるようになり「おしょくじけん=汚職事件」だと知りましたが、当時の私は大人のおじさんはご飯を食べるのに必死なんだと思い、大丈夫かな?と心配していました。

子供なりに言葉から考えるというのが好きだったのを思い出すストーリーのひとつです。

いじめられながらも学校に行き続けた忍耐力

幼稚園、小学校、中学校と父の仕事の関係で1回ずつ転校を経験しています。

幼稚園の頃は、横浜から高知に引っ越したのですが、幼稚園に通いはじめて1週間で土佐弁を話すようになったそうです。大人になり「あんな一瞬で方言を覚えて帰ってくるなんて驚いたよー!」と母から言われたのですが、その背景には「みんなの言葉についていかないと仲間外れにされちゃう!」という生存本能がそこにはあったように思います。仲間外れは子供の死活問題ですからね!

小学校の頃は、高知から福岡への転校、高知にいた頃は男女関係なく、みんなで遊んで、年から年中外遊びをしていて、自分は地黒だと思っていたほどに日焼けしていました。小学校5年生、福岡に転校してびっくりしたのは男の子と女の子のコミュニティがぱっかーと別れてるんです。福岡の方が都会で早熟だったんでしょうね…

私は空気を読めず、男の子と遊んでいたので、ある日突然「男の子と遊んで気持ち悪い!」というニュアンスで仲間外れされることになりました。一時的なものではあったのですが、男の子たちにもう遊べないかもと伝えて、女の子の輪に頑張って入っていた記憶があります。

中学校でも色々とありましたが、仲間外れにされること、無視されてた時期もありました。中学校2,3年は本当に辛かった記憶はたくさんありますが、大人になり「そんなこともあったよね〜!」と笑えるようになりました。ただ、その頃はとにかく「春日高校に行くんだ!高校行って勉強して大学行って、学校の先生になるんだ!」と思って、いじめられても、無視されても学校に行って、休み時間は勉強か読書をする学生生活でした。

高校もいろいろあった…でも、もうここに書ききれないので割愛しますが…
しんどかったですね。本当に。

ただ、負けたくなかったんです。
自分の人生を諦めたくなくて、とにかく耐えた。
この忍耐強さ、あきらめない気持ちはこの頃に本当に鍛えられたと思います。
(最近では、もっとゆるやかな性格になったのですが元々は頑張り屋さんです!)

心の勉強をしようと思った背景にある気持ち

本当乗り越えられたからこそ「いじめも人生の肥やしだった!」って今なら笑って話せますが、いじめの渦中はそんなこと思えるはずもなく、学校に行くことが怖かったし、今日もまた無視されるの嫌だなーって思いながら学校に行っていました。この頃を思い出すと心の中にある、悲しいなーの気持ちがちょっとだけ揺れるのを感じます。

その頃に私の心の救いだった「香水」があるのですが、またその話は改めて書きたいと思います。

「いじめ」って本当によくないこと。心は目には見えないけれど、ちゃんと心は傷ついてる。
その傷ついた心は、その後の人生を歩んでいく上で、対人関係、恋愛、物事に対する取り組み方、いろんなところに影響が出てくる。だから、傷ついたままだと辛いことがまた増えてしまう。

私が心理学を学ぼうと思ったのは、傷ついた心があることを知り、その心をケアしたいと思ったから。どうしても自信が持てずに大人になってしまった、その背景を自分で向き合って昇華していきたいと思ったからです。

心の勉強「メンタルヘルス」に興味を持ったのはこの背景がとても大きかったと思います。

今の私の一部にこの経験はあるけれど、正直しなくてもいい経験。
だけど、結果としては今の私を強く生かしてくれる、私の大切な経験。
学生時代の私、よーーーく頑張った!両親の見守りも有り難かった。ありがとう。

ひとまず、高校には一番行きたかった高校へ。
大学も浪人しましたが、結果的に目標だった大学へ行けたので、御の字です。

19歳の闘病生活〜ギランバレー症候群〜

高校を卒業したものの、希望の大学には現役で合格できずに浪人の道を選びました。
そして、その浪人時代に経験したことは私の人生の転機になりました。

この経験も生きているからこそ、乗り越えたからこそ「この経験があってよかった!」と言えますが、渦中はもう大変だったなーと思います。両親も本当に心配していたと思います。

ギランバレー症候群
ウイルスや細菌に感染することなどがきっかけで、外敵から身を守る役割であるはずの免疫システムが、誤って自身の末梢神経を攻撃することによって起こると考えられている。自己免疫疾患のひとつ。(現在もはっきりとした原因は不明)

私の場合は、首から下の筋肉の脱力と、左顔面麻痺の併発。
一応、10年経過したので完治したと言われていますが、疲れると顔が歪んでいたり、トイレを我慢するのが下手だったりするので、身体にはほんのちょっとだけ残ってるけど、生きていることには変わりない!という状態です。

この経験は「生きていることは当たり前でなく、生かされている」ということを教えられました。この生きる日々の生活ひとつひとつが、たくさんの命の存在あってこそだと感じて生きるようになりました。

浪人生活の9月と言えば、いよいよ夏で頑張った勉強の知識を応用させよう!という時期に、私は一体何をしているんだ…と焦りの時期もありましたが、きつすぎて勉強もままならず、病院に持って来た受験勉強の道具は全て自宅に持って帰られ、身体のリハビリ生活、口元のリハビリ生活、車椅子生活やベッドでただ眠るだけの日々を過ごしていました。

9月から2ヶ月間の闘病生活。そのまま2ヶ月間の自宅療養生活からの受験勉強。間に合うかどうかは分からなかったけれど、やれるだけやって、2月には大学受験を受けました。

結果は一番行きたかった大学への合格でした。
大学の門をくぐる時「この大学生活を絶対に後悔しない!」と心に決めて、一歩を踏み出した足元のシーンは今でも覚えています。

mixiで活動範囲を広げていた大学時代

大学生になってからは、行きたかった学部、そして、生きているのが嬉しくて、目の前の一瞬一瞬が本当に有り難く思えました。また、学部が児童教育学部だったこともあり、課題や制作物、グループワークもあり、もう遊ぶ暇もないくらいにみんなで取り組んでいた記憶があります。

大学1年生の前期に「mixi」をはじめました。2005年。当時のIDは20,000番台。そこから私はSNSの世界にどんどんハマっていきました。日々感じたことを発信することが楽しく、誰か相手は分からずとも、繋がっていくことが楽しく、この時間を大切にしていました。

その頃から「教員」だけでなく、もっと違う世界もあるのでは?と思い、当時のホリエモンや藤田さんをテレビで見ながら何か憧れを抱きはじめていました。

せっかくなら「実際に経営をしている人に話を聞いてみよう!」と思い、mixiで繋がった方にお話を聞いたり、お会いしたりする活動をはじめました。今でも繋がっている経営者さんは数名いて、15年近くのご縁があります。有難いですよね…

今でも、その当時を思い返すとよく分からない学生が突然SNSでメッセージを送り、アポイントを取ってくるわけで…お忙しい中、時間を作ってくださり、学生の話に耳を傾けてくださったと思うと有難い気持ちでいっぱいです。

当時は「SNSで人に会うのは危ない!」と言われる時代でもありましたが、文章や醸し出される雰囲気などから人柄を察知していたように思います。この嗅覚は今でも現役だと感じています!

大学時代に心理学、カラーセラピーとアロマトリートメントを学ぶ

大学2年生頃からさらに自己探求が進み、その中で出会った「カラーセラピー」に心惹かれるようになりました。私たちが無意識のうちに快・不快を感じる背景に深層心理が投影されているという考えは、本当に面白く、カラーセラピーの世界を追求しながら、同時にメンタルケアの勉強をはじめました。

カウンセリングやコーチングを通して、自分の本音に向き合い。本音と思うと実はその背後にはまた本音を持つ自分がいたり、追求しがいがあるテーマでした。同時に、友人たちにお願いして、カウンセリングとは言えないレベルでしたが、お話を聞かせてもらうという活動はこの頃からずっとです。みんなありがとう!

そのままボディトリートメントの技術を習得し、自身のサロンを立ち上げたいと思うようになったのは自然な流れだったと思っています。当時大学4年生でしたが、教員になる道を選ばず、自分の人生を歩んでみたい!と経営者になる道を選びました。

大学時代のゼミは心理学を専攻し、担当の教授は認知心理学ではありましたが、卒業論文には「自尊感情が育まれる背景について〜自己認知、自己受容、自己肯定感の観点から」ということで論文を書かせて頂きました。

今読み返すと微妙な論文で反省点しかないのですが、自分自身が自信がなかったからこそ、「自尊感情の育て方」について何かを証明したかったのだと思います。生きている意味を明かしたい、そんな学生時代だったのかもしれません。その後、実際にサロンを開き、その変遷が今に至ります。

ホテルが好きになったのは20歳

はじめて宿泊したのは、コンラッド東京になります。コンラッド東京は、2005年に汐留にオープン。その頃は、一気に東京に外資系のホテルが参入をはじめた頃になります。ちなみに、リッツカールトン東京が出来たのは2007年。

はじめて宿泊した時は、ただただ嬉しくて、テンションが上がって、部屋をウロウロしたり、浜離宮を見たり、遠くに見える景色を見ながら、落ち着かない時間を過ごしていました。

ですが、私の記憶の中に残されているのは…チェックインの際から、お部屋の案内、そしてチェックアウトに至るまで、大学生の私でも、ひとりの人として、丁寧に扱われるという体験でした。

その頃、自信がなかった私は人に大切に扱われ、見守られ、優しい言葉かけがどれだけ人を安心させ温かい気持ちにするのか、そして、自然な笑顔を見られるだけでどれだけ心が落ち着くということを、感じさせられ、驚かされました。

それは、エントランスでのベルボーイさんの笑顔。エレベーター、そしてロビー階まで案内してくださった女性のスタッフの方。そして、水月スパのセラピストさん、全ての言葉や関わり方が沁みたのです。

この経験をきっかけに、さまざまなホテルに滞在し自分に向き合う時間を作るようになりました。私の心の拠り所であり、自分を取り戻す場所でもあります。

Facebookからはじまった発信する生活

2011年5月末にFacebook登録をしました。6月になり毎日投稿するようになり、7月半ばに友達登録5,000名を迎えたことで、お祭りのような騒ぎになりました。当時、まだFacebookの登録者も少ない中でのこの状況は珍しく「福岡に住む、あの芸能人でもない何でもないあの女性は一体誰なんだ?」と話題に上がるようになり、発信者としてのキャラクターが生まれたのだと思います。

当時はまだインフルエンサーという言葉もそんなにない状況でしたが、発信力を持つことにより、企業タイアップのお仕事や企画会議、商品開発会議等に声がかかるようになり、PRのお仕事の土台となる経験をさせて頂きました。

当時、25歳。正直、本当に仕事としてどこまで出来ていたのか、反省することも多々ありますが、多くの経験をさせていただいたことに感謝の気持ちでいっぱいです。

10年経った今もFacebookを大切にするのは、Facebookという場所が私の原点でもあるからです。ここで多くの方に出会いましたし、多くの経験をさせて頂きました。限られた人生の中でこうしてつながることが出来てよかったと思っています。

ちなみに、元旦那さんともFacebook関連のセミナーを開催した際に受講生として来られたことがきっかけで出会い、2013年に結婚しました。本当に懐かしい思い出です!

出産後、戻りたくても居場所はなかった…

2013年に出産。その後、福岡で子育てをしていた2015年頃から仕事に復帰をはじめました。と言っても、一度、SNSの最前線から身を引いてしまったこともあり、子育てをしている間にインスタグラマーや読者モデルさんたちのインフルエンサーが増え、私が携わっていたような仕事は全て次の世代へと移っていました。

みんな足が長くて、綺麗な方ばかり!

私の周りに集まってくださってたと感じていたのは私の勘違いで、SNSの波や、なんとなくこの人と一緒にいたらいいことあるかもしれない!というような感覚で仲良くしてくださってたのかな…と思うことも多く、発信力の低下とともに潮が引いている。そんな感覚です。

逆にこの何もない状態であっても、変わらず関わってくださる方もいて、その方たちに支えられて仕事に復帰した部分もあり、本当に有難いな〜と思いながら、仕事復帰を果たしました。これが2014年くらいかな…

インフルエンサーとしての仕事を通して視野が広がる

2015年は仕事におけるひとつの転換期でした。
「ラグビーワールドカップ日本代表選手の取材」
「ニュージーランドでのトラベルレポーターの体験」
この2つの経験が、仕事の幅をさらに広げ、その後の仕事にも大きな影響を与えました。

宮崎で行われていた、ラグビー日本代表の合宿へ取材に伺う機会を頂き、実際に忙しい中、大野選手や堀江選手にお話を伺う時間を頂きました。当時、まだあの歴史的快挙となった「2015年 南アフリカ戦」よりも前の出来事です。

選手の皆さんは「今こうして注目してもらっていることが本当に有難い。これから先、ラグビーワールドカップが終わっても会場に足を運んでもらえるように僕達は試合に集中するだけなんです!」と謙虚な気持ちで語られるんです。お話してくださる選手の思いにどうにか応えたく、イベントを企画したり発信のサポートを行いました。

それまでラグビーの世界を知らなかった私にとって、この世界の最前線で頑張る選手の生き様、言葉に触れる機会は大きかったんです。命懸けで戦っている選手の言葉はエネルギーとなって、ビシビシ伝わってきます。写真を撮っても、話をしていても、言葉が刺さってくる、エネルギーがみなぎってる。人の心を震わせる人って、こんなエネルギーを発してるんだと学んだお仕事でした。

「#NZ旅を発信せよ!」という、ニュージーランド政府観光局とH.I.Sさんのタイアップ企画による、トラベルレポーターの公募がありました。高校の修学旅行がニュージーランドだったこともあり、あの星空をもう一度見てみたい!という気持ちで応募し、数千人の中から選ばれたメンバーとともにニュージーランド10日間の旅に向かいました。

ニュージーランド南島、北島その両方をめぐる10日間の旅はもう二度と出来ないのでは?といえるくらい、ニュージーランドのたくさんの魅力を体験しました。クィーンズタウン、切り立った山の合間への飛行機着陸。太陽の光によって色が変わるプカキ湖。マウントクック国立公園と氷河。テカポ湖、星空、ロトルアやマオリの世界。

この経験からは、仕事で行く先々での体験を記録し言葉に残し、自分の発信をどんどん広げていくことが、いつか誰かの役に立ったり、何かのきっかけになる可能性があるということ。発信する側の感度を常に高めておくことの大切さを感じさせられました。

この2つのきっかけを通して、発信する者としての「視点」を大切にするようになり、またこれまで他人事であったものが自分ごとになることを体験しました。他人事であればずっと気にもならなかったことが、自分ごとになるから気になる。

ラグビー選手のケガを心配したり、ニュースがあれば目が留まる。ニュージーランドの情勢や在り方にも自然と情報に触れるようになる。仕事を通して、人に出会い、関わることによって、世界が広がる。人生において大切にできる世界がたくさんあることは有難いことだと思うようになりました。

結婚、出産、離婚を経て、現在に至る

2013年に結婚、出産。そして、2016年に離婚。子育てをしながら2019年に起業。
人生の様々な節目を経験しながらも、生きること、働くこと、人とつながることが楽しく、仕事を続けてきました。

関わる業界は様々ですが、業界を知れば知るほど、そこには果てしない世界があり、決してデジタルな世界には表現されていない専門職の技がたくさん詰まっていたりします。

私の仕事は、経営者さんの思いをともに言語化し、事業を進める伴走者です。時にカウンセラーのように寄り添い、時にマーケティングの知識を元に提案を行います、新事業となれば共にリサーチをしながら地図を描きます。何でもやっているということではなく、尊敬する経営者さんのサポートをすることができることが嬉しいのです。

また、大切にしているのは、自身の持つ「好きなものを大切にする」というエネルギーです。
「好きなもの」に対するエネルギーが仕事に変わっていくことはとても嬉しくて、楽しくて、知らない業界に触れること、旅行やホテル、外の世界に触れることは大好きなことのひとつです。

これからの話と「Cozy Life」という生き方の追求

時に壁にぶつかったり、落ち込んだりもしながらも、楽しく経験を積み重ねながら、10数年仕事が続けられていることは本当に有り難く思っています。これもひとえに関わってくださるお客様の存在があってこそ。WEB事業はこれからも仲間とともに継続していこうと考えています。引き続きどうぞよろしくお願い致します。

そして、もうひとつの事業も立ち上げていこうと考えています。
これは昨年から言い続けている「独自の世界観によるブランドづくり」です。

今回、新しいサイトを立ち上げるにあたり、改めてミッションを言葉にする機会を作りました。ミッションというと何かふわっとなりそうですが「こんな世界が作れたら幸せだ!」ということを言葉にしてみました。

私のミッションは、
ひとりでも多くの人が自分自身を大切にする日々を過ごし、
あなたとあなたの周りの大切な人を大切にしつづけられる世界をつくること。

自分をいたわり、慈しむきっかけが日々の生活にあることで、毎日を優しく過ごすことができる余裕や余白が生まれると考えています。そんな毎日を過ごすために、自分を取り戻す時間、自身の対話づくりになるスイッチをこれからお届けしていきたいと考えています。

そんな思いやこれからのプロジェクトをお届けしたいと思い、このサイトを立ち上げました。

Cozy Life(居心地の良い人生)

Everything start with caring for yourself.   

      (全ては自分自身をいたわることから始まる)

「Cozy Life」自分にとっての心地よさって、本当にひとりひとりの幸せの概念が違うのと同じように、心地よさの定義って違うと思っています。

その自分の中にある「ホッ」とする瞬間やなんとも言えない安堵感。その空気に触れるだけで安寧の世界が広がるような世界。朝日がのぼる前の一瞬の静けさかもしれないし、電気を消して眠る瞬間の布団に沈みゆく身体の感覚かもしれない。納豆巻きを食べることかもしれないし、母の握ったおにぎりを食べることかもしれない。その大切な瞬間を味わえるような世界を大切にしていきたい。

これだけみんな毎日忙しくて、たくさんの情報に触れて、私が言うのも変だけど、みんなもっと自分を大切にする時間を増やしていこうよー!って本気で思ってます。私も自分のことをちゃんと大切にしたい。

自分の心が良い状態であり、大切な人たちに寄り添い、穏やかな日々を生きていきたい。そして、大切な人たちとともに成長し、人生を終える時に、ただただ有難い気持ちで感謝に溢れる最期を迎えたいと思うのです。

その時間がいつ来るのかは分からないからこそ、精一杯、この人生を生きて、大切な人たちにエネルギーを注いていける私でありたいと思います。

そんなメッセージを詰め込んだサイトにしていきたいと思います!
少し長くなりましたが、現在進行形の私のプロフィールでした。

みんな人生いろんなことがあると思うけれど、乗り越えていけば、きっと道は切り拓けると思います。
少しでも心のサプリになるようなメッセージをお届けできれば幸いです。

ここまで読んでくださった方は貴重な存在です。
これからもどうぞよろしくお願い致します。

服部恭子

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ABOUT ME
服部恭子
服部恭子
広報・ホテルライター
一流の接客に触れるためホテルに年間100泊以上するホスピタリティ研究家/ ホテルという場所が大好きで「ホテルを好きな人を増やしたい!」という気持ちで言葉を紡いでいます。
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