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いじめられっ子時代の黒歴史の場所に、13年後に再来して辿り着いた答え

Kyoko

小学校、中学校、高校、大学と
それぞれ大小のいじめを経験してきました。

今のようなコミュニケーション能力は、
大学生の頃に心理学を学びながら、
身につけたものなので…

10代の私は傷ついても、
その心を守るような対処もできませんでした。

なかなか生きづらい性格をしていたと思います。

高校2年生の頃はとくにひどく、
「ウザイ!」「本当、消えて!」「ブス」「ダサいよね…」
なんて言われた数々の言葉たちは、
心の傷になり、長い間残っていました。

「わたしは価値のない人間だ」と、
当時は本気で思っていたし、
寂しくて、悲しくて、苦しかった。

ですが、結果的にこの経験があったことで、
傷ついた心を理解するために私は「心理学」を学びました。

相手と心通じるつながりを持ちたくて
カウンセリングやコーチングなどから、
「コミュニケーション術」を学びました。

心を整えることができるマインドを持つことが、
人生において大切だということを
実践できるようになって、人間関係も人生も変わりました。

今、こうして人から必要とされ、
「一緒にいるだけで安心する」
「話を聞いてもらえるだけで、頑張れるよ!」と、
お仕事をご一緒している人から言われるようになったのは。

いじめられた時に感じた
「孤独」「悲しい気持ち」を
一緒にいる人には感じて欲しくないという気持ちが
私自身とても強いからだと思います。

相手の本質を理解したいし、本音でつながっていたい。
安心してもらえるような「絶対的安心領域」を広げて、
相手に心から安心してもらえる精神的な拠り所を提供したい。

そう思うのは、過去の私が求めていたものだからかもしれません。

今日お話しするのは、
この高校2年生の時の修学旅行で訪れた場所
そして、大人になって辿り着いた答えについて。

今、苦しくて、孤独を感じている。
今のこの状況が未来にどうなるかイメージがつかない!
そんな思いをもしあなたが抱えているならば、
ぜひこのまま読んでいただけたらと思います。

いじめられっ子時代の日々が私に残したもの

今振り返れば笑えるようなこともあるかもしれませんが
当時の私は逃げ場がなく、
通学路でどうにか折り合いをつけながら通っていました。

中学時代、
目指していた高校の横が通学路だったので、
「私は絶対、この高校に行って頑張るんだ!」と、
自分に言い聞かせながら通っていたのを覚えています。
結果的に志望校にも合格できたので御の字です。

高校に入ってからは、
2年生の時が正直一番しんどかった。
存在をまるっきり無視されて、
1日、誰とも話をせずに帰ったこともあります。

お昼のご飯もひとりで黙々と食べたり…
ノートを丁寧にとっていたので、
テスト前に「貸して」と言われて、
頼りにされることが嬉しくて、
話しかけられたことが嬉しくて、
ノートを貸したら、ぐちゃぐちゃになって戻ってきたり。

当時、男子バスケットボール部のマネージャーをしていましたが、
コートの外に転がってくるボールを拾うことだけが、
私の存在価値みたいに感じていたことがありました。

ボールが転がってきた…そのボールを拾う。
そして、拾ったボールをコートの中にいる部員に投げ返す。
部員に「ありがとう!」って言われて、
あ、私見えてるんだ。存在してるんだ。
みたいな安心感で自分を保ってました。

今の私は、
物事を多面的にとらえて、
解釈をできるようになったこともあり、

昔だったら「私が何かしたのかな?」とびくびくしていましたが、
目の前の人が不機嫌だったりしても、
今は「何か嫌なこと抱えてるんのかな〜大丈夫かな〜?」と、
視点を切り替えて考えられるようになったり。

自分のことを理解してくれる人たちと
一緒にいるという選択ができるようになったので、
傷つくことも本当に減りましたし、
ちゃんと自分の心を守れるようになったわけです。

学生時代って、
「家」「学校」人によっては「習い事」
そのくらいしか自分の居場所ってないですよね。

逃げ場がない。

そもそも逃げるという選択肢も渡されるわけもなく、
現実に毎日向き合うしかありませんでした。

「安心しで存在できる居場所がほしい」
この言葉が心の中に芽生えたのはこの頃だったように思います。

高校2年生で訪れたニュージーランドの記憶

高校2年生の修学旅行。
それが、生まれてはじめての海外旅行となりました。
行き先はニュージーランド。

私たちの修学旅行先がニュージーランドになった理由は、
2001年にニューヨークで起きた、9.11同時多発テロの影響でした。

ひとつ上の学年の先輩たちは急遽アメリカから国内旅行に変更され、
多くの先輩たちが涙したことを覚えています。

私たちの学年は、
アメリカの渡航は難しいという判断のもと、
福岡市の姉妹都市だったニュージーランドの首都
オークランドへの渡航が決まりました。

当時は、福岡空港からオークランドへの直行便もあったんです。

この時にニュージーランド政府観光局が
全国各地に大きく働きかけていたことは、
2015年に知ることとなりました。

私が通っていた、春日高校でニュージーランドに行ったのは、
おそらく私たちの世代だけだったのではないでしょうか…
ニュージーランドでは、ファームステイを体験しました。

老夫婦の家に招かれて、牛の乳搾りをしたり、
大きなトラックの荷台に乗って、羊を追ったりもしました(笑)

ホーキーポーキーという名前の
激甘の名物アイスクリームも本当においしかった。

何よりも、ホストファミリーが夜に山道を登って見せてくれた、
満天の星空が印象的でした。

本当に美しかった。

その頃は、周りの目を見て
大人になってまた、ニュージーランドに行きたい!
当時星空を眺めながら心に誓いました。

正直、高校2年生は、学校に行くのも嫌な時があったので
そんな中での修学旅行は正直辛かったです。
もう、悲惨ですよね…(笑)

今なら笑い話ですし、
いじめてた側も、いじめている感覚すらなかったかもしれませんが。

40人中30人が女子という私立文系クラスだったこともあり、
女性特有の仲間はずれな感じで、
会話にも入れず、ひとりで歩いて
ロトルアの博物館を見学したのは、寂しかった記憶しかありません。

俳優の奥田瑛二さんに似ている担任の先生と、
心配してくれて一緒に歩いていた友達と
一緒に撮った記念写真が一枚残っています。

担任の先生は修学旅行中も
バスの移動中、横に座らせてもらったり、
色々声をかけてくださって、
先生の横にいるのは本当に安心でした。
大好きでしたね…

でも、高校2年生の私はこんな感じだったんです。
写真はかろうじて笑ってますが、毎日が寂しかった。

そんな苦い記憶とともに存在していたのが
ニュージーランドの修学旅行でした。

2015年に訪れた人生の転機

2002年から13年後の2015年、
私にとっての人生の転機が訪れました。

「ニュージーランド政府観光局」と「H.I.S」タイアップ企画にて、
「#NZ旅を発信せよ」というキャンペーンが開催されました。
当時SNSのプロモーションを兼ねた大きな企画でした。

書類審査後、東京で最終面接とカメラテストを受けました。
その際に、政府観光局の日本代表の方から質問されました、
「なぜ、今回の企画に応募されたのですか?」と。

私は、高校時代に見たあの星空が忘れられず、
もう一度見たいと思っていたということを伝えました。
いろんな思いが込み上げて、涙目になっていたと思います。

ニュージーランドは初めての海外だったこともあって、
大好きなのには変わりはないけれど、
やっぱりちょっと胸が締め付けられる記憶も残っていて。

それでも、大人になった自分でニュージーランドに触れて、
心で感じたことを発信したいと思ったのです。

結果的に全国から数千名を超える応募の中から、
日本のインフルエンサーのひとりとして選んでいただき、
10日間ニュージーランドを巡る旅に向かいました。

実際に10日間を一緒に旅した仲間は4名。
本当に素晴らしいメンバーでした。

初日こそ緊張しましたが、
どんどん仲良くなって、会話して、
お酒飲んで(私は飲めないですが…)
みんなのことがどんどん大好きになりました。

13年後、運命の場所にたどり着く。

その日、カメラクルーに「次の撮影場所はこちらです…」と案内されてびっくり。
目の前にあの時の階段と建物がありました。

高校生ではじめての修学旅行で訪れたニュージーランド。
その場所に13年ぶりに戻って来たのです。

当時、この場所が未来に繋がっているなんて、
もちろん想像はできませんでした。

大学に入り、mixi(ミクシィ)をはじめ、
Ameblo(アメブロ)でブログを書いて、
SNSを通してずっと活動をしてきました。

いじめられた経験から「心理学」や、
「コミュニケーション」を学びました。

自分のことを大切にすることが何よりも大切だと思い、
カウンセリング、トリートメントサロンを立ち上げました。

SNSを活用して、サロンの集客をしたことで、
その後、ウェブの世界で仕事をするようになりました。

人の心に寄り添うということを大切に発信をし続けて来たので、
その思いが画面を通して伝わり、
インフルエンサーという仕事もできていたのだと思います。

発信することを続けたことで、
ニュージーランドに訪れることができました。
2002年に訪れた同じ場所へ戻ってきたのです。

心の中で言いました。
「生きててよかったね。来られてよかったね。」
「人生あきらめずに、仕事がんばってたらいいことあったよ!」と。
ロトルア博物館の前で過去の自分に語りかけました。

泣きましたよね。たまらなかった。

13年前、いじめられっ子で訪れた場所に、
全く違う「仕事」という形で戻って来る。

当時、寂しくて、悲しい気持ちでいっぱいでしたが、
13年後、必要としてくれる人がいて、
「ここに存在していて大丈夫なんだ」と思える私がいました。

人生をあきらめなければ、
ひとつひとつ散らばっている経験は
「いつかちゃんとつながっていくんだ!」という確信とともに、
日々の生活を丁寧に生きていくきっかけにもなりました。

正解がないからこそ、自分なりの正解を見つける旅を楽しもう。

人生って何が起こるか分からないし、
今この瞬間が未来にどう影響を及ぼすなんて分からない

私たちは答えのないものを
人生をかけて、命をかけて、
自分なりの正解を見つける旅をしているように思うのです。

だから、今この瞬間を懸命に生きるしかなくって、
この今の命の積み重ねた先に、
ある日、突然
「あの時の、あの経験があって、今の私がいるんだ」と、
そう思う瞬間がふと訪れるのだと思います。

だからこそ、自分の未来を信じて、前を見て、
今日という1日を丁寧に生きていくことが大切なのだと思います。

あなたは今、どんな未来を思い描いていますか?
未来に見えるあなたはどんな表情をしていますか?

いじめられて、存在意義を見失った高校時代。
その時には、この未来が訪れるなんて想像できませんでした。

目の前のことで精一杯でしたし、
今日1日、何もなく平和だったことだけでも幸せだった。

きっとこの文章を読んでいて、
今、ちょっとだけ苦しかったり、
しんどい思いをしている人は、
良い未来を描くのが今は少し難しいかもしれません。
私も当時は、未来を描くなんてできませんでした。

だけど、今なら言えます…
「あきらめずに、自分を信じよう!自分の未来を信頼しよう!」と。

ありきたりなことかもしれませんが、
この思いが最終的に、人生を切り拓いてくれるんです。

「生きてきた道を誇れるように、あらゆる経験を糧に昇華していく」
これは私の大切にしている教義です。

全ての経験は、きっと点と点でつながっていくんです。
辛い経験も、悲しくてたくさん涙した経験も。
自分の生きる意味や、存在を見いだせなくても。
今、苦しくて不安で押しつぶされそうでも、
誰のことも信じられなくても。

それでも、

今この瞬間に、心臓が動いて、息をして、
この画面を見て、
この文章を読んでいるあなたが
この世に存在しているということ。

その命を大切にしてほしいと思っています。
それだけでも本当に素晴らしいことなんです。

大丈夫。

神様はちゃんと見てると私は信じてます。

だから、あきらめないで。
自分らしい人生を一緒に歩んでいきましょう。
時間はかかるかもしれないし、
どんな未来になるかは分からないけれど、
あなたの理想の未来は、誰のものでもなく、あなたのもの。

心を整える方法を身につけて、
目の前のことを大切に、一歩ずつ進んでいけば、
きっと目指す場所へと自分自身と運命が導いてくれるはずです。

少し、スピリチュアルで、
哲学的なことを言っているかもしれませんが、
「生きる」って、とてつもなく素晴らしいことだから。
この文章を残しておきたいと思います。

今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
少しでも何かのエネルギーになれば幸いです。

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服部恭子
服部恭子
広報・ホテルライター
一流の接客に触れるためホテルに年間100泊以上するホスピタリティ研究家/ ホテルという場所が大好きで「ホテルを好きな人を増やしたい!」という気持ちで言葉を紡いでいます。
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